アメリカ人の挨拶 その2

 
■ドクトルカメさんピンチ
帰国日程もほぼ決まった93年の11月、最後の実験に取り組んでいたドクトルカメさんは、ある日、ルビーレーザーの出力が上がらないのに気づき、エンジニアのビルにちょっとレーザーの調子を診てくれないかと頼んだ。
以前はビルと一緒に実験をしていたが、だいぶレーザー装置の扱いにも慣れてきたドクトルカメさんは最近は好きなように実験をやらせてもらっていた。多少の故障や光軸のずれは別に英語を使わなくても調整できるようになっていた。
しかし、今回は今までの知識と経験を振り絞ってもうまく行かなかったのである。

ビルの診断は、レーザービームの反射の方向が悪くて、私がルビー棒を破損させてしまったというものであった。さあ、大変なことになってしまった。ドクトルカメさんは顔から血の気がスーッと引いていくのが分かった。実験ができなくなってしまったのである。
使われていないルビーレーザーからの代用がきかないか、ビルは一生懸命探してくれたが、いずれも長さが足りず、仕方ないので急いでルビー棒を取り寄せることになった。何せルビーの棒である。ビルに言わせれば3000ドルはかかるだろうという。ドクトクカメさんの頭の中を銀行のドル口座と3000ドルが払えるかの計算が駆け巡っていた。しかし、ビルはすぐに筆頭秘書のスーザンに電話して研究費が残っているか確認をしてくれた。そこはさすが、落ちぶれたとはいえ豊かなアメリカである。3000ドルなどたいしたことはないというような返事であった。

さっそく、レーザーの会社へ注文することになったが、ドクトルカメさんは、電話で丁々発止とやる自身がない。そこで今度もビルが2,3の会社へ電話をしてくれた。しかし、いずれも、発送までに2週間以上かかるという冷酷な返事しか返ってこなかった。しかし、最後に電話をかけた会社は1週間で届けられるでしょうという返事であった。それは、残り3週間の米国滞在日程を考えると、1週間で手に入るなら実験は何とか終わるだろうという甘い期待を抱かせるものであった。今日は火曜日だから来週のはじめには手に入るだろう。すると1日を調整に費やしても、木曜日には実験ができるだろうとドクトルカメさんは考えた。

しかし、水曜になっても、木曜になってもルビー棒は来ないのである。しかたがないのでビルに督促の電話をかけてもらった。もちろん電話でもまずハワユーから始まるのである。「ハワユー,……グッド……,ところで例のものはどうなったんだい。」とこんな調子である。ドクトルカメさんならいいかげん腹が立っているから、「どうなっているんだ」とつい詰問調になってしまうが、そこはやはりジェントルマンのアメリカ人、大好きなハワユーから始まるのであった。電話の結果は発送係りに問い合わせてから、また折り返し電話するという頼りないものであった。しかし、待てど暮らせど電話がかかってこない。ドクトルカメさんはいいかげん堪忍袋の尾が切れかかっている。
翌日もう一度電話してもらうと、今度は会議中とのことで、電話がかかってきたのを伝えておくという返事であった。ドクトルカメさんの怒りは爆発しそうになる。
1時間後、またビルに頼んで電話をかけてもらう。「ハワユー」(何がハワユーだ!冗談じゃない、あいさつなんかしている場合か。ビル、どうして怒らないんだ!)「例の品物はどうなっているんだい?えっ、ルビー棒は在庫がなく、用意するまでにあと2週間かかるって?」情けない。アメリカ人て信用のおけないやつばかりだ。ドクトルカメさんは、ただただ落胆の思いを胸に秘めるよりしかたがないのであった。

その晩、アパートに帰って、ことの顛末を憤慨しながら友人のS氏に話すと、「アメリカでは、電話でも、急いでいる時でも、怒っているときでも、まずハワユーから始めないといけないんですよ」というありがたい返事であった。