アメリカ人の挨拶 その4
■水平感覚のあいさつでの、ボスの呼び方に驚く。 お互いをファーストネームで呼び合うのはよく知られたアメリカの習慣である。しかし、紹介されたとき、日本人にはなじみの薄い横文字の名前を一度で覚えなければならないのではなはだ苦痛である。その点、日本では社長がどうしたこうした、課長はどうのこうのと肩書きで呼び合うことが多いので、名前を忘れたような時でもごまかすことができて便利である。 ドクトルカメさんはボスであるRox Andersonのことはロックスと呼ぶことになった。秘書もロックスと呼んでいる。ドクトルカメさんはコージである。日本ではどう呼ばれているのかと聞くので、”senseiだ”と答えてやったら、それ以来、コージsenseiになってしまった。 しかし、ファーストネーム方式を日本でやろうものならたいへんである。ドクトルカメさんの日本でのボスの名前は貞夫であったが、これを、朝、会った時などに、”ハーイ さだお!”などとやろうものなら、”あんた明日から出て来なくていいよ”と言われるのがおちである。 ところが、アメリカではプロフェッサーであろうが直接の上司であろうが一度知り合いになればファーストネームで呼べるのである。悪く言えば呼び捨てである。ただの学生がノーベル賞をもらったような偉い先生に対してでも呼び捨てできるのであるからおもしろい社会である。もちろん、丁寧な言葉使いをしなければならないときもあるが。 ドクトルカメさんがあるときロックスに、あんたはおれのボスだからといったら、ロックスは、いや、コージ、そうじゃない、おれたちはsame levelなんだと両手を水平にするジェスチャーを交えて言うのには驚き、かつ、感激したものであった。 ■大ボスの方から新人に握手を求めてくる、かの国のフェアーさに感激。 しかし、そんな近隣とはあいさつを交わさない人でも、新入社員として会社へはじめていったときなどは多くの部署や上司のところへ行き、「今度来ました◯◯です。よろしくおねがいします」といってあいさつ回りをしない人はいないであろう。 ところがアメリカでは必ずしもそうではなかったのである。向こうから知らない男がやってきて、「おお、おまえが今度きたコージか、ウエルカム」といって握手を求めてくる人も少なからずいたのである。 ドクトルカメさんの所属していた部署は基本的には皮膚科学に属していたが、そこの大ボスはジョン・パリッシュという男で、MITのライフサイエンスの教授であり、かつハーヴァード大学の皮膚科の教授であるという優秀な男であった。 ある日、ドクトルカメさんが朝の勉強会へすこしおくれていった時があった。すでに座る席がなくなっていたのでしかたなく壁際で立っていたとき、あとからきたひげもじゃの男がドクトルカメさんの隣に立ち、ジョン・パリッシュと名乗り、握手を求めてきた。何処の馬の骨かわからない新人のリサーチフェローに対し、そして、まだこちらから挨拶にもいっていないのにボスの方から名乗って握手を求めてくるそのフェアーな態度にほとんど感動してしまったのであった。 ■文化背景における、あいさつの違いの理由を勝手に推理。 おそらく、このアメリカと日本の新しく来た人に対する態度の違いというものは、日本人の場合、単に長幼の序を重んじる儒教の影響だけでなく、狭い日本で新しい人間が入って来ることは自分の取り分の減少につながる恐れがあり、どうして、こんな人間のたくさんいるところに、また新しく入って来るんだという歴史的、地勢学的に拒絶したくなる深層心理がはたらくのに対し、アメリカでは広大な土地があり、人口も少ないところへだれか友人になれるようなやつが入植してこないかといつも待っていたような歴史が根底にあり、それが自然と新しい人をひとつ歓迎してやろうじゃないかと、古くから住んでいる人が率先して新しく来た人を歓迎する気持ちにつながっているのではなかろうかとドクトルカメさんはかってに推理するのであった。 |