引っ越し顛末記---その1
■家具を借りるために、トラックを借りるハメに。 マサチューセッツ総合病院にサービスリーグという組織があった。組織といっても机と電話があり、ボランテイアのおばさんが座っているだけである。 ボストンに来た早々、力になってくれたのは心血管外科におけるレーザー治療の研究をしていたDr水谷であった。Dr水谷は「もし、家具類がなかったら、サービスリーグというところへいったらただで貸してくれるよ」と教えてくれたのであった。 早速、教えてもらった道筋をたどり(病院は増築につぐ増築を重ねているので巨大迷路を歩くようなものである)、ブルフィンチビルの地下にあるサービスリーグへ行ってみた。 そこのおばちゃんに「わたしも家具を借りたいんですが」と言ったら、リストを取り出して、二人の名前を丸で囲み、「この二人のうち一人を選び、電話で予約をしなさい」と言った。倉庫の鍵を持っていて開けてくれるのだという。知らない人に電話で話すのは相当勇気がいる。しかし、この際、やむを得ない。がけから飛び降りるつもりでそのひとりに電話をかけた。 すると、まず、ハズバンドらしき男性が電話に出た。「ミセス ウイリアムスと話したいんですけど」しばらくしておばちゃんの声が電話口にでる。「1月前に日本から来たものですけど、サービスリーグの家具を借りたいんですが」と話し始め、3月12日の予約を入れる。なかなか親切で安心する。 つぎに家具を運ぶ算段をしなければならない。Dr水谷に相談すると、近くにUホールという引っ越しトラックを貸してくれるところがあるから、そこへ行ってトラックを借りて自分で運転したらいいですよとこともなげに言う。また、がけから飛び降りなければならない。 だいたい、日本でさえ、トラックなど運転したこともないドクトルカメさんが初めてのアメリカで、しかも、一方通行が多く渋滞がちなボストンでどうして運転できようか、と思っても、ただで貸してくれる魅力には勝てない。レンタルすれば月500ドル位かかることを思えば。 ■ついに、マニュアル ミッションのトラックでボストンを走る。 途中までは予定通りにスムースに走れ、これならと安心していたが、MITの前のメモリアルロードを走っていて気がついた。車高の低い車しか通れない陸橋のトンネルがあったのだ。 さて、いよいよ倉庫の前で会う日、ドクトルカメさんは朝、7時に起きて身支度を整え、アパートを出た。 レンタカーでUホールへ行き、トラックを借りる。スタッフはセカンドから発進しろと言う。クラッチは左だが、方向指示器、ギアは右で戸惑う。 9時に倉庫の前にトラックを止める。おばちゃんはほんとうに来てくれるのだろうか、心配になる。 何と、今朝の雪でこれないのだという。電話番号もわからなくて連絡のしようがなかったんだという。ひどい。こっちはトラックを借りて待っているのに。 |