春祭り

 ■囃子方
 先日、久しぶりに故郷の岐阜の田舎へ帰り、春祭りを楽しんできました。
故郷のお祭りは、かって木曽川で筏流しが盛んだったころの伝統を今に伝えるもので、合わせると船の形になる大きな3台の山車が主役です。それを大勢の子どもや大人たちが長さ40cm、網もとでは太さ15cmもあろうかという2本の大綱をもってひっぱります。
威勢良く角を曲がるときはなかなか迫力があり、時には曲がりきれずに家の軒先を壊したりすることもめずらしくありません。4本の竹の柱で支えられた不安定な屋根の上ではトビ職の人たちが電話線や電線に山車の屋根がひっかからないよう命がけで監視しています。また、山車の舞台では笛、鼓、太鼓の囃子方が祭囃子を奏でており、ドクトルカメさんの大脳の奥深くに刻み込まれている懐かしい調べがよみがえります。それはまた、お祭のざわついたそして華やいだ雰囲気で気持ちを高揚させていた子どものころの気分を思い起こさせてくれるものであり、ほんとうに心地のよいものでした。また、かって、鼓をやらされ、毎日の練習で親指と人差し指の間が切れて辛い思いをした日々をかいま見させてくれるものでもありました。
主旋律を奏でる笛の連中は、相変わらず楽譜も見ずに場所ごとに決められた曲を間違えずに演奏しており、昔と同じだなーと感心しながら囃子方を眺めていました。
そのとき、ふと、どうしてこういうものはいわゆる聞き伝えでなされて、楽譜のような記録がなにもないのはなぜだろうかという思いが脳裏に浮かんだのです。よく考えて見ますと、日本の伝統文化といわれるものはその多くがいわゆるマニュアルなどではなく、体に覚えさせ、さらにはたたき込ませて伝来のものを守っていくというスタイルをとるものが多いのに気づきました。

■道を極める
道といわれるものの多くは、師匠の振る舞いを見てそれをそのとおりマスターし、さらにその奥にある思想を悟るという神業が要求され、一朝一夕には会得できません。その間、多くのお金をお師匠さんに払い、長い長い時間をかけて頭も薄くなるころ、ようやく免許皆伝になることも少なくありません。
ところが、今日、アメリカでは多くのことがマニュアル化され、その本を読んでその通りにやればだれでもその日からベテランのように立ち振る舞うことができるようになるというスタイルを多くみかけます。しかも、こういう文書化されたものをいつでもだれでもみることができるようになっている場合には、巷から多くの批判批評を仰ぐことができ、それに基づいて次々と改訂版を出していくことができます。したがって前版を踏み台にしてより高い次元に容易にたどり着くことができます。他方、わが日本的システムの場合、その場その場で状況に応じたやり方が要求され、さらには物事を作り上げていく方法はそれぞれの部署であうんの呼吸でなされ、およそシステム化とはよほど遠いように感じます。そして、伝統芸などでは技を見て自分のものにするのがせいいっぱいで、さらにそれを改善してよりよくしていくなどということは至難の技です。また、各流派はその方法が門外不出で公開の場で他からの批判をあびることがないものも少なくありません。
日本的な方法ではどうしても個人の努力、工夫によるところが大きく、手作りのよさは味わえますが、システム化されていないために、その個人がいなくなれば技術が周りに伝わらなくなります。

■ノウハウ
この良い例をアメリカの学会運営で発見しました。
ドクトルカメさんは昨年の春、ニューオリンズで行われたアメリカ形成外科学会に参加しましたが、どうも学会運営のほとんどはすべては学会の事務局が担当し、会長はアイディアとどういう思想で学会を方向づけるかだけ考えればよいというシステムで運営されているように見受けられました。したがって、会長はなにも自分の住んでいる都市で学会を開く必要はなく、寒い時期ならば南の暖かい観光地ででも十分開くことができるわけです。
ひるがえって、日本の学会運営を見てみますと、会長となった教授はさまざまな手段でまずお金を集める必要があり、さらに医局員の多くは学会が来ると決まったその日から医師の仕事とはなんら関係のない学会の準備に忙殺され、貴重な日々を事務方の仕事についやさねばなりません。さらに不幸なことに、苦労して築いた学会運営のノウハウはつぎの大学に引き継がれることなく、廃棄処分にされてしまいます。中心となって運営した人が大学から出てしまえばつぎの学会のときはまた一からはじめなければなりません。そして、つぎの年の学会に指名された大学のかわいそうな下っ端医局員の人々にもまたおなじ運命が待っています。この間に培われたノウハウは文書化されていないので学会の運営方法の進歩も遅遅としたものになりがちです。

こういうことを考えるたび、良い悪いは別にしろ、日本人というのはアメリカ人と比べてホンとに物事をシステム化するのが下手だなーとつくづく思うのです。